皮算用をやめたらブログを書くのが楽しくなった
3回目の正直でまたブログを始めた。
2007年、2017年と挫折したブログ。2023年、また始めることにした。
理由としては…
・ブログを習慣化させて文章を書く仕事をしたい
・見るだけ、聴くだけ、食べるだけの受動的な娯楽に飽きた
・3回目でなんとなくわかっていて取っかかりやすかった
そんな感じで3回目のブログ再開で気がついたことをまとめてみます。
受け手側の不満のバリエーションの少なさに気づく
受動的な娯楽ばかり追っているとスカスカの人間になるかも?
ブログが他のSNSよりも敷居が低く感じるのは年齢のせいかもしれません。
それは、1番最初に受け手だけだった誰もが発信者になれる大々的なツールの登場でしたし、まだ10代だった宇多田ヒカルが自分の言葉で綴るブログも大好きでした。
どんな平凡な思考や気づき、アイデアでも自分の内側から出てきたものはやっぱりパワーがあるし自分にとってはとても価値があること。
逆に常に外側からの反応だけで生きていると、突然空しくなるし何のために生きているのかがわからなくなってくる。
例えば、何気なく音楽を聴く時に感じることと言えば↓
流行りの曲をただ聴くだけの場合(受動的な反応)
・つまんない歌詞だな
・こんな声のボーカル増えたな
・昔の曲の方が良かったな
カラオケや結婚式などで人前で歌う時に感じること↓
流行りの曲を人前で歌わなければいけない状況になった場合(能動的な反応)
・どこで息継ぎしてるんだ??
・こんな歌詞の意味だったのか!
・歌うのって体力使うし大変だな
・歌手って何百回も歌っていて飽きないのかな
・簡単そうに歌うけど難しいな
・1曲歌いあげるのって大変
「言う」と「やる」との間には、はとんでもない距離があります。
自分が当事者になればたくさんのバリエーションを考える羽目になる
自分ならどうするか?を考えることの大切さ(当事者意識)
ブログ再開で、最近のブログ状況をリサーチしていて思ったこと。
ノウハウばっかり!!!!
私の検索の仕方に問題があるのかもしれないけど、ブログの始め方や作り方、マインドの持ち方、その他諸々。
2回目に挫折した理由がよみがえってきました。
せっかくブログを再開したのに、またネットからもらう情報ばかりリサーチしている自分。
違う。これが嫌だからブログ始めたのに。。
こうやってこの文章を書いている間も、読み手の意識とは違い書き手の意識が働いています。
これでも文末やら改行やら気にしながら書いているのです。
それと同時に誰が読むねんという雑念とも戦っています (泣)
さらに、別に自分のために書いちゃいけない法律でもあるのか?という思考とも戦いながら何度も消しては読み返しながら書いている訳です。
ここまでこればもう受動的な娯楽ではない訳です。
ブログを書くことは受動的の真逆である能動的な行為。
これは百戦錬磨のブロガーさんたちのノウハウに打ちのめされ、2回目のブログまでには気づけなかったことです。
ブログを挫折しても学びは残る
よくやるわ…あの人。という感覚が挫折を誘発する
読書もまあ普通にする、推している人もいる、コーヒーなんかも好きだしハマって見ていたドラマや映画もなくはない。
でもどれも熱量が趣味と言えるほどではないのはどうしてなのか?
執着心がないと言えば聞こえは良いけど、飽きやすい性格なだけのような気がしてなんとなく損している気分になる時があります。
憧れている人に会って泣くとか、絵画を観て感動して震えるとか、海外タレントに会いに国外に行ってしまうとか、よくやるわ…よく言うわ…と思っていても実は羨ましい。
でも、自分にその感受性とモチベーションはない。
こんな拘りの少ない自分が書くブログは誰の役にも立たず、誰にも刺さらないだろう。
3回目にブログを始めるとき変な皮算用をやめて、長くやることを目標にし最悪自分に刺さればいいやと決めた。
そうしたら、なんとなくゆるくではあるけど週1でアップ出来るようになってきました。
自分もブログの読者のひとり
もう自分で自分を励ますしかないのではないか?
自分が読みたいものを書いていけば少なくとも自分だけは救われる気がしています。
だったらインスタやYouTubeで他人のアカウントを見るように、自分を自分で励ます媒体を持てばいいだけではないか?
マーケティングターゲットを自分にする(ペルソナ、俺)
それで生きやすくなるなら、それに越したことはないしでもせっかくやるなら文章力やアウトプット力も上げたい(でた皮算用)
見ず知らずのひとが書いた本やSNSで元気になる事もあるけど、そればかりだと主体的になりにくい体質になってきてしまう。
自分のフィルターを通さないで正解だけが知りたいみたいなスタンスでいる事は、もう本当にダメなんだなって思った。
昔投げたブーメランが続々と到着し始めている
年齢に抗う方法より、年齢に寄り添う方法が知りたい
20代のころ、40歳なんておばさんって思っていた人は実際40代になるとそのブーメランが刺さる。
自分が投げたブーメランは絶対によけられないし、よけた方にちゃんと戻る。
年齢に抗う方法は巷にあふれているけど、年齢に寄り添う方法も同じくらいあってもいいのにと思う今日この頃。
今更ブログを始めて投げたブーメラン。
後頭部にささらなければいいけど。
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