もくじ
不足を数えても意味はないけど理由はある
手にしていないもの、それは手に入れる可能性があるもの
足りないものを数えるのではなく、すでに自分が持っているものに感謝しなさい。
まったくもってその通りなんだけど、すでに手にしているものに感謝が出来るのなら、手に出来ていない(と感じる)ものにも感謝すればいいではないか?
と思ったのでブログに書くことにしました。
可能性という名の先延ばし作戦は生きていくのに悪い方法じゃない
曖昧さに飽きた時こそ行動の原動力になる
持っていない、手にしていないという事は、手にした時の楽しみや憧れが可能性として手に入っている状態とも言えます。
恋愛や結婚、なりたい職業行きたい場所、食べてみたいものや住みたい街、行ってみたい国。
などなど。
手にした瞬間、その憧れはただの現実や日常に色褪せてしまう。
好きなものや人にほど曖昧にしておきたい気分になったりするのは本能的にそれを知っているからじゃないでしょうか。
そうは言ってもまだ手にしていないものを、いたずらに並べてコレクションにしても仕方がありません。
まだ手にしていない楽しみが自分にはたくさんあるのだと考えた時、空しく感じるのであれば、そうれはもう飽きたのです。
さっと行動に移せば、ほとんどのことはなんだこんな事かと安心すると思います。
人はすでに持っているものには感謝できない生き物
ないものねだりが世の中を動かしている?
人は自分に足りていない部分にこそ魅力を感じるもの。
簡単に手に入るものや努力せずとも出来てしまうことになんて興味がわかないのが常。
だから、その状態を悪いことみたいに捉えず、なぜこれが欲しいのか?あれも欲しいのか?
こんなに人が羨ましいのか?
そうやって掘り下げていけば、矛先さえ見誤らなければすごいエネルギーになる。
不足を数える意味はやっぱりある
世の中のライフハックは誰かの失敗から成り立っている
世の中にはたくさんの有難い言葉やノウハウ、精神論や生き抜くためのハックが数多くある。
だけど、自分の感情の部分が納得していないのに自分より賢い人のいう事だって理由だけで鵜呑みにしていると、自己否定に繋がり本末転倒になり兼ねない。
他人と比較しないとか、感情的にならないとか、感謝するとか愚痴を言わないとかは全部人間ならやっちまう事だからわざわざ本に書いてある訳です。
みんなそんなにちゃんと出来ていないんだから、あんまり気にすることないと思う。
自分に足りないと感じるものがあるのなら、何かの可能性が生まれたのだと思うことにしている。
どうしてこんなにも曖昧さに耐えられないのだろうか?
答えがない、という答えが出ているではないか!
不確実で曖昧な状態の中にとどまる技術のことを「ネガティブケイパビリティ」というそうです。
曖昧なことを曖昧なままにしておける人っていうのは、問題を先延ばしする思考ではなく下記のような、もやっとした思考の中にとどまっていられる技術ということ。
・思考を一旦寝かせておける
・結論を急がない
・安易な解決策に走らない
・自分の中で結論がでるまで待てる
大体のことは満を持して何かに取りかかれることなんてなく、常に何かはやりかけのままで、本は常に読みかけのまま、分かったような気がしたまま、見様見真似でやるしかないのが人生。
今日、腑に落ちたことも明日にはやっぱり違うかもしれないと思うことばかり。
年を重ねることは、曖昧さや不確実さに折り合いをつけなければいけない事実が増える事でもあると思います。
おわりに
雑記なので、訳がわからないことをつらつら書きましたが、まとめると。
・自分に足りないと感じるものは「可能性」なのだから厄介払いしない。
・自分足りないものほど魅力的に感じるのは当たり前
・誰かの失敗の上にライフハックがある
・不足感は世の中にはまだ知らないことがたくさんあるから
お金がないからダメとか、綺麗じゃないからいやとかじゃなくてお金があったらどんな生活が出来るかな、綺麗だったらどんな行動を起こすかなと。
お金や地位を手に入れても、そんなに良いものじゃなかったと正直に言ってくれるインフルエンサーもいますが、それは当たり前と言えば当たり前の話かもしれませんね。
成功者と言われる人たちが、もう宇宙と健康くらいにしか興味が持てないのも仕方がありません。
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